地獄の公務員編最終話です。
絶対にもうすぐ辞めてやるという思いを抱いたまま公務員をしていました。
仕事内容的には単純作業の繰り返しの流れ作業を、法律に基づいてやっているという内容だったので、僕じゃなくても誰でもできるなという印象でした。
そのため、向上心も持てずにぼーっとしながら作業をこなしていました。
時折声のでかい上司が僕のことを怒鳴りますが、やる気のない僕に怒鳴っても意味ないのにと思いながら説教の内容は右から左でした。
ゴールドジムで働いていた時は同僚と楽しく仲良くやってましたし、
お客さんにもすごく感謝してもらえるし、やめる時は同僚もお客さんもすごく悲しんでくれてたのに、今の職場と比べると僕の扱いが天と地くらい違ったのでなかなか受け入れられませんでした。
そんな感じで3年以内に転職しようという思いを胸に、職場では魂が抜けたような感じで過ごして、ジムに着いてからが今日の始まり!みたいな感じでした。
やる気がないと言ってもさすがに自分の最低限の仕事はちゃんとやってました。
そうこうしているうちに一年が過ぎて社会人2年目です。
ちなみに1年目もちゃんと大会に出ました。
登録の関係で、住まいは広島でしたが福岡の大会に出ました。
結果は予選落ちでした。
去年までは期待の新人でしたが、もっと凄い人が出てきたり、僕の成績が振るわないからか全く見向きもしてもらえなくなりました。
結果がモノを言う世界なので仕方ないですが悔しかったです。
社会人2年目は上司が代わり優しくなりました。
自分の仕事は変わらなかったため慣れていたので少し早く帰れるようになりました。
この辺りから、サボってもバレないようなことはできるだけサボる能力を身につけました。
バレた時に怒られるだけなので大丈夫と思ってやってみましたがバレることがなかったので今まで律儀にやっていたことは全く意味がなかったことに2年目に気がつきました。
その結果平均して2〜3時間の残業で帰れたので、少し生活に余裕ができトレーニングもより頑張れるようになりました。
そのおかげかボディビルの成績もよくなり、ボディビルを始めた時から目標にしていた
日本ジュニアと言う大会で優勝し日本チャンピオンになることができました。
そこからボディビル関係者はみんな手のひらを返してくるので見ていて面白かったです。
そこからは更に仕事に対する情熱が薄れていき、次はトレーニング関係の仕事をしようと心に決めていました。
それをどこでどんな形でやるか考えていました。
でも仕事をして、トレーニングをすると平日は24時を回っていたので
転職するにも準備する時間がないと嘆いていました。
今思えば全て甘えで、もう1時間睡眠時間を削って何かできたし、
土日のどちらか一日は丸々休みだったので何でもやる時間はありました。
自分の不幸を嘆いてただ何もしてないやつだったのですが当時はまずは
仕事をやめて時間を作らなくてはと思ってました。
そもそも隙間時間を見つけて何かをやろうと言うその何かが何かすら
見つかっていなかったから頑張れなかったのかなとも思います。
そしてまた1年経ち、公務員3年目突入です。
本当にやめなきゃやばいと思いつつもなかなか行動できずにいました。
バカみたいにトレーニングだけは頑張っていたのでこの年もなかなかいい成績を残せて、
一般の部でもそこそこ通用するようになり、全国区の選手として認知してもらえるようになりました。
仕事は部署が変わり新しい仕事内容になりました。
そして更にその年から新しいシステム導入されて新たに覚えて使いこなせるようにならないといけないようになってました。
小さい職場の小さいエリアでしか使えない、しかもまだまだ試運転のような状況でめちゃめちゃ非効率なシステムだったのでなおさら僕のやる気は起きず、本当に最低限しかやりませんでした。
だんだん自分の仕事が残っていても帰るようになりました。
上司が帰らないから気を使って帰らないとかそんな気は使わなくていいからと言われていたのを思い出してすぐ帰るようにしました。
仕事を残して早く帰るから、やる気あるんかと言われても、ないですって即答できるくらいメンタルも強くなりました。
頑張っても10人中1人か2人くらいしか特別な給料アップはないですし、残りの8人くらいは頑張り具合に関係なく同じ金額の給料アップです。
特別にと言っても3~5千円程度の差しかないです。
そんなもののために頑張り続けるなんてバカバカしすぎたので適当にやることにしました。
その年の年明けに、ジムで仲良くなった友達にジムをしようと言う話を持ちかけられたのでそこで仕事をやめる決心がつきました。
その話を持ちかけられた次の日には辞表を提出して年度末の3月末での退職が受理されました。
そんな感じで僕の退屈な公務員生活は終了します。
ようやく次回からメインの「ジムを作る」編のスタートです。